2011年9月11日日曜日

2001年9月11日

Fort Wayne(フォートウェーン)はアメリカ インディアナ州の首都インディアナポリスに次ぐ第2の都市です。
葬儀の終わった翌朝、疲れと悲しみとでほとんど眠れずにまだベッドにいた私にジョンが声をかけてきました。
We had two tragedies
悲劇?惨劇? 何だろうと思いながらリビングのテレビの前に座りました。
そこに写しだされていた光景は、まるで映画の1シーンかのような衝撃的な映像でした。
What happening !?
ニューヨークにあるツインタワーの北棟、南棟から炎と黒煙が立ちのぼり、今にも崩れ落ちそうな状況でした。
What's the other one ?
これが1つ目の悲劇ならもう1つは何なんだ。
Pentagon」(ペンタゴン)


この日の朝、テロリスト達にハイジャックされた4機の航空機のうち、2機がNY、1機が国防総省の本庁舎に、もう1機は(後で明らかになった事)ワシントンD.C.の議事堂を狙ったとされていますが地上からの連絡などからハイジャックされ自爆テロであると知った乗客たちが機を奪還しようとし、テロリストの目的は阻止できたものの数百キロ離れた地に墜落してしまったのです。

着替えもせず、顔も洗わず夕方までテレビに釘付けです。英語が理解力の限界を超えていた為、部分、部分で解っても話が繋がりません。ボーっとしながら映像だけを見ていました。

1機目がタワーに衝突した時点では単なる航空機事故という報道だったようです。しかしその十数分後テレビの実況中に南棟にもう1機が衝突、炎上したのを見て「何かが起こっている」と皆察知したようです。アメリカのみならず、世界を震撼させた「アメリカ同時多発テロ」が起こったのです。



こんな状況の中で日本に帰れるのか心配になってきました。

16日の便の予定を早めることができるかどうか、ノースウエストに何度電話をかけても繋がらず、直接空港のカウンターに出向きました。空港は閉鎖されていましたが事情を話して入れてもらい、問い合わせたところ混乱しているのでいつ再開されるかわからないという返事。

この空港に数人の日本人らしき女性がいたので声をかけたところ、カナダに行く予定だったのがここで降ろされたという事で「どうしよう・・・。」と困った顔をしていましたが、とりあえず目的地へ飛ぶ便が出てくるまで待つようでした。

私は数日後再び空港に出向き、帰りの便の予約確認を済ませましたが、2日延びて18日デトロイト経由で帰れることになりました。

スーザンとジョン静かに眠るMomにさよならを言って前の晩、空港近くのホテルに宿泊。
出発の朝、空港の待合室で空港警備員らしき人に名前をたずねられました。
聞くと、私の乗る飛行機はキャンセルされたので今から出る便に乗ってくれという事、さらにもうすぐ離陸すると。
「え~っ!もうちょっと遅かったら帰れなかったじゃないの~」とあたふたと乗り込むと機内にはたった13人。100人は乗れるような飛行機に13人とはさすがアメリカ人、危機管理がしっかりできてるんだと思いながらデトロイトで乗り継ぎ、無事日本への帰国となったわけです。


さて、悲しみの癒えない葬儀から数日後、新たな問題が起きつつありました。
Momにはジャックというパートナーがいたのですが、結婚はせず数年前から同居していました。
ジョンは仕事がインディアナポリス、スーザンは別に家がありジャックだけが残ったMomの家と遺産の取り分を巡ってこの問題は後に裁判にまで発展するのです。

to be continued

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