2011年12月17日土曜日

貯玉増減 1週間

1日の終了時点での貯玉の増減をちょっとメモしてみました。

12月10日(土曜日)  6,680
12月11日(日曜日) 11,460
12月12日(月曜日) 10,605
12月13日(火曜日)  4,083 (MY休日)
12月14日(水曜日)  8,464 
12月15日(木曜日) 11,618
12月16日(金曜日) 13,115 

火曜日の大幅減は慶次・焔で返り討ちされたせいです。(時間もいつもの半分程度)
初当たりまでの使用した玉数はメモしたり、しなかったりだったので何の機種で何玉使ったかまでは書ききれませんでした。
慶次の焔、斬、愛と冬ソナのミドル、甘のみの稼働でこの間、現金投資は0円です。

焔やソナ・ミドルで連チャンしない限りなかなか大幅増とはなりませんね。
引き続き今度は詳細にメモります。




2011年12月14日水曜日

クリスマスのプレゼント 何かなぁ?

日本では単なるイベント的なクリスマス。
去年はプレゼントに冬ソナのDVDを頂きましたが、今年は何にしようか(リクエスト)考え中。
つい先日、通販で旦那さんのものと一緒に注文したウェア。「キミの分、払ってあげるよ」とおっしゃいましたが、私の分はたかだか7000円。これで済まされては困ります。

ちょっと気分だけはと、リース的なものを玄関に飾るだけですが、MHの近くに毎年派手なクリスマスイルミネーションで輝く家があります。今年はちょっと控えめで玄関周りの一部です。(ちょっとピンボケ)


去年は確か屋根の上の方もキラキラしてたような・・・。

我が家は「ケーキだけは食べたい」というヤツの為、毎年奮発して10cmで3200円のデコレーションケーキを予約しております。(*´д`)


2011年12月7日水曜日

猫たち パート2

チビ(かい)。


 ブログタイトルのみいちゃんが天国に行ってから丸4年。チビが最年長の10才です。
みいちゃん一人で1年程たった頃、お留守番が一人より二人の方がいいかともらってきたのがチビ。みいちゃんに比べて小さいので単純にチビちゃん、と呼んだのが名前の由来ですが、里親さんの所では「塁(ルイ)」というかっこいい名前で呼ばれてました。

海ちゃんは多分5才くらい。会社に出入りしていたノラちゃんにくっついて事務所に入ってきた頃は1才になるかならないか位だったと思います。もらってくれる家があったのですが、病院で肝臓の数値が異常に高いと言われ治療する事になり、里子を断念し我が家の一員になりました。


海ちゃん 
この海ちゃん、警戒心が強く3年近くも近寄れば「ふぅーっ!」、目が合うと「ふぅーっ!」の毎日だったのがしばらく経ってチビにくっついて一緒にいるようになったので、チビをおとりにして近くに来た時にそーっと触ったり、目を合わせず手を出したりを繰り返しているうちに4年目にしてやっと自分の方から膝にも乗ってくるようになりました。
昔を思い返せば憎ったらしく思うのですが、今では「こやつ」がウザイほどベッタリなのです。


チビ


ちびは本当に面倒見がいい猫です。夜布団に一番に入ってくるのがチビ。

この間の超冷え込んだ夜、4人が次々に入り込んできました。寝返り打てないしなかなか眠れませんでした。

布団を干す時、下を通る人がいないのを確認してパンパン叩くと雪が降るが如く抜け毛が飛んでいきます。(被害にあってるお家はないと思ってますが・・・ スミマセン)

2011年11月7日月曜日

猫たち パート1

我が家に猫は6匹(人)いますが、その中で唯一カップル?と思えるペアが
茶々丸(まるちゃん)とCoCo(ここちゃん)です。

よく一緒にくっついて寝てます。

まるちゃん(♂8才)とここちゃん(♀2才)のラブラブカップルなのですが、まるちゃんはちょっとおデブで、その実態は・・・・               

こんな「おやじ」なのです。 
ここちゃんは八割れの美人さんで、足で体を撫でてもらうのはOKなのですが、手を出すとサッと逃げてしまいます。           


ちょっと隠れて見えませんが尻尾は横から見ると「ハート」の形をしています。もの静かな、いるかいないかわからないような女の子で、なかなかそばに来ないのですが、一瞬のスキを見てつかまえて抱っこするのがスリリングで結構はまっています。


2011年10月31日月曜日

ジョアン

女の子のような名前ですが男の子です。
我が家に来て1年半。訳ありの飼い主から「1週間預かって」と頼まれて以来なぜかずっとそのままなのです。ほとんど毎日のように顔を合わせるのですが、未だに「返してくれ」とは言わず「貸している」のだそうです。
仔犬だった頃から預かったり、何かと面倒見てきたので我が家の猫たちとも仲良しです。


トイレの躾がキチンとできていないので、あまり長い時間お部屋をウロウロできません。会社では机やイスの足の周りは狙われるので最近は散歩以外ほとんどケージの中にいます。

その「飼い主」が来ると私の後に隠れ、唸ります。叩かれて服従させられていた記憶は悲しいかな忘れることはできません。

今はキチンとご飯も食べられ、散歩もでき、シャンプー&カットもしてもらってハッピーなジョアンです。

猫と接する事に抵抗感がないので、会社の周りに出没するノラ猫の「みいこ」ちゃんや「ちいこ」ちゃんとも仲良しです。

 
ほんとは家に置いておきたいのですが、ケージに入れっぱなしは可哀想なので毎日同伴出勤しています。

ワンコは散歩させなきゃならないのがネックで今まで飼おうと思った事はないのですが、いるとなるとそれほど散歩に出かける事が苦にはならないものなのですね。

「あ、お散歩、お散歩っと!」って感じで。

2011年10月19日水曜日

通販を利用しています。

洋服はほとんどアメリカの通販「LANDS’END」(http://www.landsend.com/)で買っています。
Gパンなどパンツ類、ポロシャツ、Tシャツなどまとめ買いするのですが日本のランズエンドで買うよりは送料かかってもはるかに安いし、今円高なのでかなりお得です。
靴まで入れると上から下まで全部ランズエンド製品を身につけている時がある程。ちなみにバッグもトートバッグ(イニシャル入り)ですが数個あり、もう動く宣伝体ですね。

シンプルでコーディネイトしやすいし、Gパンは厚手で丈夫です。


身長158センチ、体重48キロの私のサイズはPetite(プチ)のSサイズ、パンツは4サイズです。ちょっと上に着るダウンやベストはPetiteのMサイズにするとジャストフィットですね。

だいたいはOverstocksでシーズン終わってから買うのでTシャツやポロシャツはほんの数ドル程度。ダウンベストは9色(プリントやチェックも)ありますがほとんど半額です。女性用でベージュがないのがちょっと不満。



← 秋以降はだいたいこんな感じです。
もうちょっと寒くなるとシャツの下にタートルやTシャツを着てコート無しでほぼ冬中通してます。
もう10年以上スカートはいてません。冠婚葬祭以外のスカートはワンピースを除いて全部処分してしまいました。



 
衣類だけではなく、タオルも厚手でお奨めです。キッズ用のタオルに名前を刺繍(5ドル)してもらって誕生日プレゼントや出産祝いなんかにも利用しています。

注文すると1週間~10日くらいで届きます。
旦那さんもランズエンド派にしてしまいました。けっこう気に入ってるようです。


2011年10月16日日曜日

魔法のソファ

貯玉が溜まると換金しますが、15,000玉か30,000玉のどちらかが換金時です。
10,000玉だと33,000円が30,000玉は100,000円なので1,000円お得。15,000玉は500円のお得なのです。

慶次・愛のフルスペックで500円分の貯玉で赤保留から21連した時、合わせて30,000玉オーバーになったので換金し、何か買おうと思い立ったのが旦那さんがテレビを見る時に座っている1人用のリクライニングソファ。

6年前程前に購入した物で、北欧の王室御用達の家具やさんが手がけた本革のレモンイエローのきれいな椅子が、猫ちゃんの数が増えるとともに、爪とぎの餌食になり、今や見るも無残な状態だったのです。

新しいのを買ってあげちゃいました。(エヘン)

前のソファは貯玉にすると20,000玉分程でしたが、その半分の予算で見つけました。ホントはマッサージ機能付きが良かったのですが、足を乗せる部分が付いていなかったのでやめました。

Before

このソファ、魔法のイスで背もたれ倒してテレビを見ているとあっと言う間に眠くなるため、滅多に私は座りません。
と言うより、見る番組が違うため私は主にキッチンで見ています。

犬のみならず、猫もこのソファが大好きで、ちょっと立ったスキに座られていることが多いんです。

このボロボロのソファが



After

これになりました。
本革ではないけれど、ゆったりしていて足の部分も広く、満足していただきました。







リクライニング時


が、設置して食事をしている間にすでに爪とぎされてしまいました。

それも3ヵ所も・・・。
この他にもともとはフローリングなのですが、爪で傷がつくからと絨毯を敷いていた部屋の絨毯をやめてフローリング調のマットを敷きつめました。

ソファには早速爪とぎ予防のフィルムを貼りましたが、いつまで持つやら・・・。

2011年9月25日日曜日

この家は誰が買ったの?

 

 葬儀が終わって数日後、ジョンはインディアナポリスへ戻り、スーザンは自分の家へ戻りフロリダから来ていた友人達も皆帰っていきました。
ジャックと私、Momの愛犬プードル2匹がシーンとした家に残りました。

ある夜、Momの友人で美容院を経営しているナタリーがやって来ました。これからどうするかという相談事で、おそらくスーザンの頼みで来たのだと推測できましたが、傍観者として何気に近くに座って2人を眺めつつ聞いていました。

ジャックはこの家に残りたいような様子です。しばらくしてナタリーが「では、この家は誰が買ったの?」と聞きました。

この家はスーザンが結婚して数年経った時に買った家。しかし夫の転勤でケンタッキー州に引っ越す際にMomが買取って移ったのです。スーザンはその2年後離婚してフォートウェーンに戻りはしたけれど仕事先の近くに別に家を借りていました。

「買ったのはメリールースだ」 「じゃあ、あなたはここには住めない。この家はスーザンとジョンのもの」 Yes, you are right ! (口には出さない私の言葉) これ、当たり前の事。

スーザンがこの家に戻るので、ジャックは近くにいい家があるからそこを買ったらいいというようなアドバイス。

「だけどここからここまでの絨毯は私がお金を出した」と玄関から居間に続く部分を指差してとんでもない事を言い出すジャック。(心の中で唖然・・・ Oh, No  Jack !)



それからの事の顛末はスーザンからのメールで分かりました。
ジャックは結局は引っ越したが、ほとんどの家具を持って行ったと。更に遺産も自分には取り分があると主張し(5年近く同居)訴えたというのです。
スーザンは受けて立ちます。そしてジャックが持って行った家具の返還を求めてこちらも訴えます。交通事故の裁判もかかえ、この頃のスーザンは本当にストレスフルな日々だったと思います。


遺産を管理しているファイナンスには誰かは分からないが「どれ位あるのか?」というような電話もかかってきていたらしく、2分の1にあたる弟ジョンの財産の行方を心配してスーザンはある決断をします。
ジョンは全く見えないというほどではないけれど視覚障害者です。男なのでジャックを頼っていましたが事業の話を持ちかけられたりしていたらしく、察知したスーザンがジョンの財産を守るため「ガーディアンシップ」(後見人制度)を決めたのです。
ジョンは後見人のOKがなければお金を引き出せなくなり、当然なぜ勝手な事をしたんだと怒ります。大人ではあるけれど、人のお金をアテにするような人物らからジョンの資産を守らなくてはという親心が姉弟を疎遠にさせる原因になってしまったのは残念な事です。


スーザンはジャックにビタ一文渡すこともなく、家にあったジャックの物以外の家具すべてを奪取できたものの、愛犬2匹だけは認められず戻ってきませんでした。それが何より悔しく、悲しかったようです。





そして数年経った6月のある日、ジャックから「ジョンが結婚する」という電話がありました。
私はジョンの結婚式に出席するため、再びなつかしの Fort Wayne を訪れる事になるのです。


to be continued





2011年9月11日日曜日

2001年9月11日

Fort Wayne(フォートウェーン)はアメリカ インディアナ州の首都インディアナポリスに次ぐ第2の都市です。
葬儀の終わった翌朝、疲れと悲しみとでほとんど眠れずにまだベッドにいた私にジョンが声をかけてきました。
We had two tragedies
悲劇?惨劇? 何だろうと思いながらリビングのテレビの前に座りました。
そこに写しだされていた光景は、まるで映画の1シーンかのような衝撃的な映像でした。
What happening !?
ニューヨークにあるツインタワーの北棟、南棟から炎と黒煙が立ちのぼり、今にも崩れ落ちそうな状況でした。
What's the other one ?
これが1つ目の悲劇ならもう1つは何なんだ。
Pentagon」(ペンタゴン)


この日の朝、テロリスト達にハイジャックされた4機の航空機のうち、2機がNY、1機が国防総省の本庁舎に、もう1機は(後で明らかになった事)ワシントンD.C.の議事堂を狙ったとされていますが地上からの連絡などからハイジャックされ自爆テロであると知った乗客たちが機を奪還しようとし、テロリストの目的は阻止できたものの数百キロ離れた地に墜落してしまったのです。

着替えもせず、顔も洗わず夕方までテレビに釘付けです。英語が理解力の限界を超えていた為、部分、部分で解っても話が繋がりません。ボーっとしながら映像だけを見ていました。

1機目がタワーに衝突した時点では単なる航空機事故という報道だったようです。しかしその十数分後テレビの実況中に南棟にもう1機が衝突、炎上したのを見て「何かが起こっている」と皆察知したようです。アメリカのみならず、世界を震撼させた「アメリカ同時多発テロ」が起こったのです。



こんな状況の中で日本に帰れるのか心配になってきました。

16日の便の予定を早めることができるかどうか、ノースウエストに何度電話をかけても繋がらず、直接空港のカウンターに出向きました。空港は閉鎖されていましたが事情を話して入れてもらい、問い合わせたところ混乱しているのでいつ再開されるかわからないという返事。

この空港に数人の日本人らしき女性がいたので声をかけたところ、カナダに行く予定だったのがここで降ろされたという事で「どうしよう・・・。」と困った顔をしていましたが、とりあえず目的地へ飛ぶ便が出てくるまで待つようでした。

私は数日後再び空港に出向き、帰りの便の予約確認を済ませましたが、2日延びて18日デトロイト経由で帰れることになりました。

スーザンとジョン静かに眠るMomにさよならを言って前の晩、空港近くのホテルに宿泊。
出発の朝、空港の待合室で空港警備員らしき人に名前をたずねられました。
聞くと、私の乗る飛行機はキャンセルされたので今から出る便に乗ってくれという事、さらにもうすぐ離陸すると。
「え~っ!もうちょっと遅かったら帰れなかったじゃないの~」とあたふたと乗り込むと機内にはたった13人。100人は乗れるような飛行機に13人とはさすがアメリカ人、危機管理がしっかりできてるんだと思いながらデトロイトで乗り継ぎ、無事日本への帰国となったわけです。


さて、悲しみの癒えない葬儀から数日後、新たな問題が起きつつありました。
Momにはジャックというパートナーがいたのですが、結婚はせず数年前から同居していました。
ジョンは仕事がインディアナポリス、スーザンは別に家がありジャックだけが残ったMomの家と遺産の取り分を巡ってこの問題は後に裁判にまで発展するのです。

to be continued

2011年9月5日月曜日

10th Anniversary

2001年9月5日。
この日も私にとって忘れられない日になりました。

アメリカ行きを1週間後に控えた9月6日の朝、会社のPCにジョンからのメールが届いていました。
彼の母、メリールースが交通事故で亡くなったと。
彼女は私にとっても母のような存在であり、ずっと「Mom」と呼んでいた人です。
受け取る手紙の書き出しはいつも Dear My daughter No.2(2番目の娘)でした。
7年ぶりに再会を楽しみにして矢先の事・・・。(愕然)
あわてて国際電話をかけました。

友人のマリーとミシガン州へ出かける途中、信号待ちをしていた乗用車に大型トラックが追突し、走行中だった彼女の運転する車にほぼ正面から衝突したのだという事、他州での事故のため諸事情で葬儀は10日になるという事、頭の中で「どうしよう、どうしよう」という思いが駆け巡ります。

会社で済まさなければならない仕事があった為、すぐには行く事ができず、とりあえず13日の航空券を10日の朝発に変更してもらい、葬儀には間に合わないかも知れないけれどアメリカ時間10日の昼頃には着けるし、もしかしたら最後に顔を見ることはできるかもと、スーツケースに喪服も入れて慌しく出発したのです。

けれど、家に着いた時にはもう葬儀を終えたジョンが戻って来ていました。
姉のスーザンが迎えに来て墓地に連れて行ってくれました。ほんの数時間前に埋葬されたとわかる跡が痛々しく、顔があるであろう場所に膝をつき、芝生にキスをしてお別れをしました。

Mom, you are always in my heart, I love you ....... 


この日から10年、アメリカのProflowersという(日本でいう花キューピットみたいな)お花やさんを通してブーケを送り続けています。
今年のお花はピンクローズとサフィニア

アメリカに住んでいる家族や友人へお花を贈る際に日本から送るよりも便利かも知れません。


そしてこの日の翌朝、アメリカで前代未聞の事件が起こります。

to be continued