戦国の世に、 こころ眩しき男がいた
米沢の駅を降りて出口に向かう通路に観光案内のポスターが目に入ります。
直江兼続、上杉謙信、あ、あった 前田慶次
☆彡
こころが眩しい・・・いいフレーズですねぇ~。
こんなポスターに出迎えられて出口に向かい、私の名前が書かれたカードを掲げてタクシーの運転手さんがスタンバイしてくれてました。
前田慶次の足跡を訪ねるコース1時間半の予約をしていましたが、甲冑が展示されている宮坂考古館は月曜休館との事で最初に向かったのは堂森にある
前田慶次供養塔
昭和55年に建立された供養塔です。
慶次は亡くなって一花院というお寺に葬られ石塔もあったと言われていますが、江戸時代に焼失したという記載を目にしたことがあります。石は焼失しないと思うんですけどね。
寺の創建者のお墓の断片は別のところに移されて現存しているそうですが、慶次のものがどこかに移されたという記録がないので不明とのこと。
土葬だったでしょうから、今も一花院があったどこかで眠っているかも知れません。
お賽銭箱に125玉分のコイン(500円)を入れました。どうかこれでいつも当たりを引けますように、と願いを込めて(^O^)。
慶次清水
供養塔のある善光寺から少し離れた野球場の脇に慶次が生活に使っていたとされる清水があります。今も湧き出ています。
正面の林の中です。だ~れもいなかったので独り
占め
(^^♪。
水は冷たくて飲めるようですがちょっと口につけただけ。
わき出て波紋が広がります。
無苦庵があった場所からはちょっと離れていますが、慶次自ら水を汲みにここまで来ていたのかも知れません。
ひっそり感が伝わってきます。
400数十年前に置かれたと思われる石塔は苔むしてその長い年月を感じさせます。
もしかして慶次が置いたの?かも、と苔のついていない部分を撫でまわしました
(^^♪
宮坂考古館に展示されている前田慶次の甲冑は、写真で見た事があるので行かなくてもいいかぁ♪と一瞬思ったのですが、翌朝の新幹線の発車時刻が10:47だったので見に行っても十分間に合うと思い直し、行ってみました。
写真で見るのとは大違い。ガラス越しに対面した慶次の甲冑は他に展示されている甲冑と比べるとカラフルで「いかにも・・・」な感じなのですが、いにしえの昔、この鎧の下にあの慶次がいたんだ・・・と思ったとたん、しばし固まってしまいました。
・・・・人もまばらな館内に・・・突然・・・ハナをすする音が
響きます
・゜゜・(>_<)・゜゜・ 超感(┳∧┳)動。
供養塔より慶次清水より、これを見れて何より良かったわぁ~
(^^)/(^^)/(^^)/。
直江兼続の小っちゃい「愛」のついた甲冑や上杉景勝の甲冑の印象がほとんどありませんが、慶次の甲冑はまた見に行ってもいいかな?と思います。この時はあまり時間もなかったので兼続くんや景勝さんには失礼しちゃったけど、今度行ったらじっくり拝見させていただくわね~(^^)/。
今回直江のデカイ「愛」のついた兜が展示されている上杉神社に行く時間はたっぷりあったにも関わらず、行かなかったのも失敗かなと反省もしてるので是非また行かねばと・・・。
米沢市内で見かけたもの
かねたん、けーじろうのキャラが
描かれたバスとか
自販機の上の慶次。
あ~楽しかった(^^)/。
最後にYou Tubeで見つけたものを