2013年8月19日月曜日

前田慶次を訪ねて 番外編

米沢に行って慶次の足跡を辿るほかにやる事・・・と言えば

米沢牛を食す!!

ですね。

タクシーの運転手さんにお薦めのお店を聞いたら「べこやさん」。
この日は朝新幹線の中でパンとアイスコーヒー、観光終わってホテルにチェックイン後喫茶店でチーズケーキとアイスティー、お昼らしい食事も気が付いたらしていなかった。

駅の周辺にはいろいろ米沢牛メインのお店が目立ちますが、夕方になって駅前の交差点脇にあった花壇の縁に座り、ちょっと時間待ち。
5時を過ぎたあたりで「べこや」に向かいます。



古民家を移築し、以前は焼き肉のみだったらしいのですが、ステーキやしゃぶしゃぶもメニューに加え「米沢牛DININGべこや」と改称したようです。

ひとり焼き肉やしゃぶしゃぶはちょっと寂しすぎるのでステーキのコーナーへ。

フィレ100g¥7,500、サーロイン150gで¥7,500。う~ん、さすがそれなりのお値段だこと。

そのメニューの左側に目に入ったのが「優秀牛」という文字と¥9,000という目の玉飛び出そうな金額(^^)/。
この際だからと「優秀牛」のフィレステーキをチョイス。あ、ビールも忘れずに(^^)/。

前菜三点盛り、ローストビーフ、サラダほか
そしてミディアムウェルのフィレステーキが完成(^^)/し


いっただきま~す(^^)/。

お土産に買ったもの。

T-シャツと
朱槍の耳かき、

けーじろー&かねたんの
マグネット。

他にシールやステッカー
やキーホルダーなど。


次に行くのは紅葉の頃かなぁ。

2013年8月18日日曜日

前田慶次を訪ねて 山形編

長谷堂の戦い

東の関ヶ原の戦いと言われた「慶長出羽合戦」。
最も激戦だったのが現・山形市長谷堂で繰り広げられた長谷堂城をめぐる戦いです。

ちょっとしかやらなかった「CR花の慶次 漢」の嵐戦モード中、しかめっ面しながら聞いていた直江の「敵は後方! 最上!!」のセリフ。
憎々しい最上の「かかったな、直江山城」「終わりだ…直江山城」を聞くと勝てる気がしなかったわ~(-"-)。



長谷堂城跡。
ぐるりと一周しました。











右上の菅沢山中腹に上杉軍が本陣を置きました。距離的には1kmほどのようです。

時を同じくして西では関ヶ原の戦いも開戦。
この戦いは石田三成率いる西軍が敗北、その知らせがここ長谷堂に届いたのは2週間後でした。

兼続は自ら殿(しんがり)となり撤退を開始。


慶次がその馬前に立ちはだかり、兼続にかわって殿を努めたとも言われていますし、2人でとも、また水原親憲という名も出てきます。


城を取り囲んでいたお堀あと。







新幹線の乗車券は米沢駅迄のものでしたが、山形駅までは片道30分ほどだったので、乗り越してまずは山形市に行こうと、車内で切符を買いました。
11時50分に山形駅に着いてから米沢に戻るのに13時11分発の新幹線に乗るまでの間のバタバタ移動。
駅から長谷堂までは往復で30分位。タクシーの親切な運転手さんがあちこちで車を止めてくれました。おいしいお酒やワインの銘柄、5~6月頃の出羽三山の眺めは絶景とかいろいろお話しがはずみました。おいしいワインは「貴婦人」だそうです。3,300円でした。

山形駅の近くにある山形城跡にも「行きますか?」と聞かれたので、時間がないのもあったけど山形城主といえば「かかったな、直江・・・」の憎っくき最上義光(よしあき)。
「あ~、行かなくていいかな・・・」。
米沢は上杉一色に対してこちらは最上一色。撤退戦で上杉軍を深追いし被弾した最上の兜が展示されていたり、戦いの様子が描かれた屏風もあるようです。

慶次が松風に乗って、捨丸・岩兵衛を従えいくさ場を駆けている姿を思い浮かべるヒマはちょっとなかった・・・・ ガ~ン(+o+)



2013年8月15日木曜日

前田慶次を訪ねて 米沢編

戦国の世に、 こころ眩しき男がいた

米沢の駅を降りて出口に向かう通路に観光案内のポスターが目に入ります。
直江兼続、上杉謙信、あ、あった 前田慶次☆彡

こころが眩しい・・・いいフレーズですねぇ~。

こんなポスターに出迎えられて出口に向かい、私の名前が書かれたカードを掲げてタクシーの運転手さんがスタンバイしてくれてました。

前田慶次の足跡を訪ねるコース1時間半の予約をしていましたが、甲冑が展示されている宮坂考古館は月曜休館との事で最初に向かったのは堂森にある

前田慶次供養塔

昭和55年に建立された供養塔です。


慶次は亡くなって一花院というお寺に葬られ石塔もあったと言われていますが、江戸時代に焼失したという記載を目にしたことがあります。石は焼失しないと思うんですけどね。
寺の創建者のお墓の断片は別のところに移されて現存しているそうですが、慶次のものがどこかに移されたという記録がないので不明とのこと。
土葬だったでしょうから、今も一花院があったどこかで眠っているかも知れません。














お賽銭箱に125玉分のコイン(500円)を入れました。どうかこれでいつも当たりを引けますように、と願いを込めて(^O^)。

慶次清水

供養塔のある善光寺から少し離れた野球場の脇に慶次が生活に使っていたとされる清水があります。今も湧き出ています。

正面の林の中です。だ~れもいなかったので独り
占め(^^♪
水は冷たくて飲めるようですがちょっと口につけただけ。




わき出て波紋が広がります。
無苦庵があった場所からはちょっと離れていますが、慶次自ら水を汲みにここまで来ていたのかも知れません。






ひっそり感が伝わってきます。





400数十年前に置かれたと思われる石塔は苔むしてその長い年月を感じさせます。
もしかして慶次が置いたの?かも、と苔のついていない部分を撫でまわしました(^^♪





宮坂考古館に展示されている前田慶次の甲冑は、写真で見た事があるので行かなくてもいいかぁ♪と一瞬思ったのですが、翌朝の新幹線の発車時刻が10:47だったので見に行っても十分間に合うと思い直し、行ってみました。


写真で見るのとは大違い。ガラス越しに対面した慶次の甲冑は他に展示されている甲冑と比べるとカラフルで「いかにも・・・」な感じなのですが、いにしえの昔、この鎧の下にあの慶次がいたんだ・・・と思ったとたん、しばし固まってしまいました。

・・・・人もまばらな館内に・・・突然・・・ハナをすする音が
響きます・゜゜・(>_<)・゜゜・ 感(┳∧┳)動。

供養塔より慶次清水より、これを見れて何より良かったわぁ~(^^)/(^^)/(^^)/

直江兼続の小っちゃい「愛」のついた甲冑や上杉景勝の甲冑の印象がほとんどありませんが、慶次の甲冑はまた見に行ってもいいかな?と思います。この時はあまり時間もなかったので兼続くんや景勝さんには失礼しちゃったけど、今度行ったらじっくり拝見させていただくわね~(^^)/。

今回直江のデカイ「愛」のついた兜が展示されている上杉神社に行く時間はたっぷりあったにも関わらず、行かなかったのも失敗かなと反省もしてるので是非また行かねばと・・・。

米沢市内で見かけたもの


かねたん、けーじろうのキャラが
描かれたバスとか


自販機の上の慶次。






あ~楽しかった(^^)/。

最後にYou Tubeで見つけたものを