2013年8月18日日曜日

前田慶次を訪ねて 山形編

長谷堂の戦い

東の関ヶ原の戦いと言われた「慶長出羽合戦」。
最も激戦だったのが現・山形市長谷堂で繰り広げられた長谷堂城をめぐる戦いです。

ちょっとしかやらなかった「CR花の慶次 漢」の嵐戦モード中、しかめっ面しながら聞いていた直江の「敵は後方! 最上!!」のセリフ。
憎々しい最上の「かかったな、直江山城」「終わりだ…直江山城」を聞くと勝てる気がしなかったわ~(-"-)。



長谷堂城跡。
ぐるりと一周しました。











右上の菅沢山中腹に上杉軍が本陣を置きました。距離的には1kmほどのようです。

時を同じくして西では関ヶ原の戦いも開戦。
この戦いは石田三成率いる西軍が敗北、その知らせがここ長谷堂に届いたのは2週間後でした。

兼続は自ら殿(しんがり)となり撤退を開始。


慶次がその馬前に立ちはだかり、兼続にかわって殿を努めたとも言われていますし、2人でとも、また水原親憲という名も出てきます。


城を取り囲んでいたお堀あと。







新幹線の乗車券は米沢駅迄のものでしたが、山形駅までは片道30分ほどだったので、乗り越してまずは山形市に行こうと、車内で切符を買いました。
11時50分に山形駅に着いてから米沢に戻るのに13時11分発の新幹線に乗るまでの間のバタバタ移動。
駅から長谷堂までは往復で30分位。タクシーの親切な運転手さんがあちこちで車を止めてくれました。おいしいお酒やワインの銘柄、5~6月頃の出羽三山の眺めは絶景とかいろいろお話しがはずみました。おいしいワインは「貴婦人」だそうです。3,300円でした。

山形駅の近くにある山形城跡にも「行きますか?」と聞かれたので、時間がないのもあったけど山形城主といえば「かかったな、直江・・・」の憎っくき最上義光(よしあき)。
「あ~、行かなくていいかな・・・」。
米沢は上杉一色に対してこちらは最上一色。撤退戦で上杉軍を深追いし被弾した最上の兜が展示されていたり、戦いの様子が描かれた屏風もあるようです。

慶次が松風に乗って、捨丸・岩兵衛を従えいくさ場を駆けている姿を思い浮かべるヒマはちょっとなかった・・・・ ガ~ン(+o+)



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